カジュアルゲームの使命
- 竜騎士
- 2 日前
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①手軽に遊べるゲームをカジュアルゲームと呼んで差支えないと思うが、昔は全く見向きもしない、というかゲームとして見ていなかった。
そもそも、ゲームは高価な娯楽であった。ゲーム自体の発売数が少なかったという事もあるが、ゲームを買うという事はかなりの「覚悟」が必要だったのだ。少ない情報からコレだ!と思うゲームを狙い撃ちにし、一度購入したのならば骨の髄まで遊び倒す・・・位の気持ちがあった。(その為信じて購入したゲームがクソゲーだった時の落胆度は凄まじいものがあったのだ)
そんなわけで、ゲームを「軽く」遊ぶ、という事は考えられない時代だった。つまり、カジュアルゲームという存在自体が無かった。
時代は移り、スマートフォンの登場でゲームプレイヤー層の裾野は一気に広がった。この広がりが、結果としてカジュアルゲームを生み出す事になったと思う。(少なくとも一因である事は間違いない)
それまで、学生男子が主なターゲットだったゲームが、電話とセットになる事で老若男女の目に触れる存在となったわけだ。
また、それまで学生としてゲームを楽しんできた世代が社会人となりゲームから離れようとした所に、電話という社会人必携ツールと共にゲームが入り込んだことで、忙しいながらゲームを遊ぶという需要が発生した。つまり、短時間でサクッと遊べる、操作方法が簡単、という、カジュアルゲームの基礎が出来上がった。
カジュアルゲームの存在意義は、プレイが簡単・1回のプレイ時間短い、という要素が重要である。
プレイが簡単、という要素は、子供・女性・高齢者もゲームに触れる事が可能、ということである。子供と女性に関しては小さい頃からゲームに触れる事で、ゲームの面白さ・楽しさ・またそこからゲーム性に関して考察する基礎を体験させる事で、将来のゲーム制作とプレイヤーの育成へと繋がる。高齢者に関しては、プレイ人口を繋ぎ止める事とボケ防止の観点も意外に見逃せない要素だと思う。
また1回のプレイ時間が短いという要素は、忙しい世代をゲームに繋ぎ止める効果がある。
こうしてみると、カジュアルゲームはゲームのプレイヤー人口の裾野を広げ、維持し、ゲーム開発の将来を担っている重要なジャンルのゲームであるという事になる。
簡単なだけに、ゲーム性で勝負が出来るし、多くのゲームクリエイターにチャンスのある重要なジャンルである。
簡単・気軽はあり得なかった時代を過ごしてきた身としては、感慨深くも有り、ゲーム業界にとって良い時代が来ているんだな、と感じている。

②ゲームに様々なジャンルが存在する。カジュアルゲームもゲーム性を押し出したものから何も考えずひたすら暇つぶし的にプレイするゲームがある。
中でも、暇つぶし系のゲームは得てしてゲームとして見られない事が多い。
例えばジグソーパズルゲーム。
多くのジグソーパズルゲームは、単純にアナログ版をデジタルにしただけであり、そもそもジグソーパズル自体はゲームと呼べる存在ではない。ジグソーパズルはバラバラなピースを嵌めて元の画を完成させる作業で、単純に達成感を味わうだけだ。
ゲーム性を持たせるとすれば、制限時間を設けてタイムアタックを行うか、ピース毎に得点(スコア・コンボボーナス等)を付けるか、といった所だろうか?
しかし、ジグソーパズル(ゲーム)は暇つぶしとして多数販売されている。多くは完成後エログラフィックが見れるというモノだが、このゲームではない暇つぶし作業もカジュアルゲームとして分類されるのはなぜだろうか?
カジュアル(手軽)という響きと暇つぶし作業だけではゲームとして成り立たない。しかし、デジタルデータで行う暇つぶしとなると、ゲームと錯覚してしまうのではないだろうか?ゲーム性があるかどうかは重要ではなく、「ゲームっぽい何か」という錯覚がジグソーパズルをゲームとして認識させていると思うのだ。
つまり、ゲームっぽい何か=ゲー無もカジュアルゲームとして認識されるという事なので、ややこしい事ではある。
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