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執筆者の写真竜騎士

ゲームセンターを10倍面白くする本

更新日:6月5日


かつて、ゲームセンターのゲーム記事を専門に扱うアーケードゲーム専門誌が存在した。その名は「GAMEST」(ゲーメスト)。色々な意味で現在でも「伝説の」アーケードゲーム専門誌と紹介される事がある。

理由は様々だろうが、この雑誌は私の青春時代と共にあった雑誌であり、この雑誌があったからこそ、今現在、こうしてゲームに関するレビューやコラムを書く事が出来ていると思っている。ここでは、そんな私に影響を与えた雑誌「ゲーメスト」について語っていきたい。


ゲーメストとの出会いは高校生の時だ。当時通っていた高校は田舎も田舎で、電車通学だったのだが、1時間に1本という、東京に住んだ身としては恐ろしいダイヤ編成の場所だったので、帰宅時に電車を逃す事は致命的な事だった。

かといって、電車の待ち時間を潰す娯楽施設は皆無(一部はパチンコ屋に流れていたが・・・^_^;)で、唯一時間つぶしで有効だったのが一軒の書店だった。何分、そこしか時間を調整する場所が無かった為、いつしか立ち読みをして時間を潰し、電車に乗り帰宅する、という流れが当たり前のルーティンとなっていった。

そんな中ふと手に取った雑誌が「ゲーメスト」であった。

当時はアーケードゲームにそれ程興味はなく(そもそもゲームセンターが無かった)、アーケードゲームの情報は、PC情報誌の1コーナーで紹介されている記事を斜め読みする程度だった。

これは、先のアーケードゲームに対する思い入れの違いなのだろうが、当時はアーケードゲームは、個人的にゲームとしての格はかなり下位であった。主に遊んでいたのはファミコンであり、次にPCという順位でアーケードはその下であった。別コラムでも書いているが、当時アーケードゲームをプレイするゲームセンターは「不良」のたまり場で恐い場所、というイメージしか無かった事も大きな要因の一つだ。

そんな中、アーケードゲームの専門誌は新鮮に映った・・・が、正直最初は雑誌の総ページ数を含め、薄っぺらい雑誌だと思っていた。

ゲーム雑誌=ファミコン雑誌だったので、攻略情報がメインの誌面に慣れていたのだが、ゲーメストの開発者インタビューや読者コーナー、ハイスコア掲載には面を喰らった感が強かった。

ただ、当然攻略情報がメインである事は他のゲーム情報誌と変わりがなかった。しかし、画面写真のみならず独自のイラストでの解説等紙面的にはかなり目を惹く構成だった。この構成がアーケードゲームをプレイする事が殆ど無かった私を虜にしたと言える。

現在ゲームに関するレビューやコラムを書いているが、レビューのスクリーンショットに付けるキャプション等は、当時のゲーメストの影響があると自分では思っている。

もう一つイラスト系で私を魅了したのが読者コーナーの投稿イラストだ。初期の頃から滅茶苦茶上手い人が投稿していて、当時漫画家を目指し画を描いていた身としてはかなり影響を受けた。これは、ファミコン雑誌に比べ読者層が上で、かつ自分に近かった事も大きい。


そんなわけで、一目見て(アーケードゲームにそれ程興味はなかった自分が)ゲーメストを購読する様になった。実際アーケードゲームをほぼプレイしないので、情報誌というより「ファンロード」の様な読者投稿誌のイメージで読んでいたのだが・・・

初期の頃の誌面には「コスリ」や「ゲームセンターは悪か?」といった事に関し、読者を巻き込んで論争が行われ、攻略だけではない記事も面白かった。(現在考えると実にほほえましい)また、アーケードゲームのプレイをビデオ撮影し、ライブラリ化しようという提案もされていたが、現在YouTube等でレトロゲームのプレイ動画が観られたりする事を考えると、ゲーメストはかなり先取りした考えを持っていたと感心する。

この頃は攻略と並んでこうしたゲームの面白さやゲームセンターの在り方といった、まだマイナーだった業界を盛り上げようという気概が記事からにじみ出ていた。

個人的にこの事は現在も痛切に感じている事で、さすがにゲームはマイナーな存在ではなくなったが、ゲームの面白さや、何故ゲームをプレイするのか?という部分に関し、もっと深堀して行きたいと常々感じている。こんな気持ちを植え付けてくれたのは、間違いなくゲーメストである。


ゲーメストは、アーケードゲーム業界の成長と共にメジャー化していき、対戦格闘ゲームの爆発的な人気でその地位を不動とした。

その頃は、対戦ダイヤグラムを始めとした各社の対戦格闘ゲームの対戦テクニック記事がメインで(他のゲームジャンルの発売が少なかったとはいえ)記事に偏りがあった。それでも、ハイスコアなどは掲載されていて、一応アーケードゲーム誌の体裁は保っていた。

余談だが、対戦格闘ゲームで対人戦がメインとなった時代でも、対戦格闘ゲームのハイスコアも集計されており、対CPU戦の攻略もされていた。この事は、現在個人的に対戦格闘ゲームをCPU戦メインで行う自分に影響を与えているのではないか?と考えている。


今思うに、対戦格闘ゲームブームの火付け役であるストⅡ登場前後でゲーメストの誌面はガラリと変化した。

対戦格闘ゲームは、ゲームとしての面白さに加え、キャラクターの魅力で新規のライトプレイヤー(読者)を連れてきた。ライト層はゲームというよりキャラクターが好きな傾向があり、それこそイラストやコスプレ写真投稿に力を入れた為、読者コーナーが肥大化しファンジン的要素が強くなっていく。攻略は格闘ゲーム一色で、古くからのゲーマーは徐々に出る幕を奪われていく。これは、単に時代であり、(ライト層による)ゲームセンター健全化の始まりと考えれば仕方のない事かもしれない。そして、初期の様な熱い想い、というか業界を盛り上げようという想いが、ある意味達成されたからかもしれない。


そんなゲーメストも対戦格闘ゲームブーム終焉と共にその役目を終える。ある号を最後に突然次号が発売されないまま終わってしまったのだ。この件に関しては、詳しくないので語らないが、経緯などは様々な場所で見聞きできるだろう。

対戦格闘ゲームの終焉と書いたが、実際にはゲームセンターの終焉と言える。これは家庭用ゲーム機の進化とネット環境の整備普及にともない、ゲームセンターでゲームをプレイする意味合いが薄れて行った為だ。

そう考えると、アーケードゲームの発展と衰退を示してきたという意味でも、伝説のアーケードゲーム専門誌と呼べるかもしれない。


もう一つ、個人的にゲーメストの伝説として、編集長「石井ぜんじ」氏の存在を挙げたい。ゲーメストの編集長は、初期の頃はライター陣の持ち回り制というイレギュラーなモノだったが、途中から石井ぜんじ氏が編集長となり誌面作りが統制されていく。氏は初期のライター陣の頃から開発者インタビュー等の構成を手掛けており、編集長はなるべくして収まったポストではなかろうか。

氏の編集後記やコラムでの文章が心に響く。ゲームの面白さや、それを理解する為上手くなるコツをロジック的に示してくれた。この影響で私もゲームの楽しさを伝えたいと、つたない文章力でコツコツレビューやコラムを書いている。本当に彼の影響は大きい。

氏はゲーメスト消滅後もゲームのコラム等を執筆されており、業界のご意見番の一人として現在も活躍中だ。彼に倣って私も現在の活動を続けていきたい。

最後に、ゲーメストの本当の(?)伝説として初期の頃に(不定期)連載されていた漫画「メタルフリークス」(作:本田拓弥 画:蜂 文太)を紹介したい。

ゲーム雑誌に連載漫画というモノは付き物で、その様式を確立したのは「闘うパソコンゲームマガジン コンプティーク」の巻末連載漫画「新星記ヴァグランツ」(作:ヴォクソール・プロ 画:麻宮騎亜)だ。

このヒットに倣い、各ゲーム紙には連載漫画枠が設けられ、それはアーケードゲーム専門誌も例外ではなかった。

メタルフリークスは、今読んでもどういうストーリーなのかサッパリ判らないのだが、当時の(SF)OVA的なノリだけは感じる事が出来る。

絵柄も好みで読んでいたのだが、いつの間にか連載が消えていたという謎の漫画だ。なんとなくゲーメストの行く末を暗示していた様で怖い気もするのだが・・・^_^;


*この広告もゲーメストの思い出の一つ。

ゲーメスト専用バインダーの広告だが、当時青年誌などに掲載されていた(怪しい)健康器具「ブルワーカー」の広告のパロディとなっている。

「まったく」「簡」「単だ」(笑)

ちなみに、登場している雑君氏が描くキャラ「リュウ」「ケン」は、(初代)ストリートファイターのキャラ。この両名は本誌での連載でも味のあるキャラとして描かれていた。

*当時この広告を見て、東京にはスゴいゲームセンターがあるんだな、と思っていた。丁度専門学校に入学して、学校がお茶の水だったので学校帰り等に立ち寄っていた。ただ、いつもスゴい混雑でゆっくりゲームをプレイした記憶はない。ミッキーの思い出は、ナムコの「アサルト」をプレイした事、同じくナムコの「メタルホーク」の実機を見た(プレイではない)事、専門学校の知人が、セガの「エイリアンストーム」でスゴい点数を稼ぎだしていた事・・・くらいかな?

このミッキーは、ゲーメストによると麻雀ゲーム「麻雀かぐや姫」を開発した三木商事と関連があるとの事だが・・・ホント?

このゲーセンも既に無く、時代の移り変わりをしみじみと感じる次第。

*テクナートという業務用ゲームのコントロールボックス等を販売していた会社の広告。

何故か業務内容と関係ない漫画が掲載されていて、このヘタウマ的な絵柄も何故か評判が良かったらしく毎号の連載となっていた。

*個人的にゲーメストの面白い記事の一つであった「ゲーム懸賞論文」。業界紙であるコインジャーナル紙との共催で行われていた、ゲームに関する論文を読者を中心に募集していたもので、初期の頃は大人が持つゲーム=ゲームセンターの悪いイメージを変えようと、ゲームは悪なのか?といった内容が多かった。回を重ねるに伴いゲーム性を考えるもの等も出てきたが、いずれも当時のゲームをプレイするプレイヤーの気持ちが籠った素晴らしいモノが多く読み応えがある記事だった。 こういった攻略以外の記事は、アイランド系の、お笑い・おふざけ系記事と、論・懸賞論文等の真面目な記事に分かれていたが、真面目系の記事が面白かった事がゲーメストが支持されていた要因と思っている。

*伝説の「スーパーリアル麻雀PⅡ」特集記事。

この記事一つで売り上げが大きく上がったとか・・・^_^;

確かに、衝撃的ではあったのだ。今見れば実に平和なのだが・・・

*こちらも伝説の「ストリートファイターⅡ」初紹介記事。

実に素朴な記事だが、次号から誌面が変わる程の人気となり現在に至る。凄まじいゲームだった。

*ゲーメストが作ったX68000用PCゲームソフト。 ゲームフリークが作ったシューティングとして注目されたが、実際はどうだったのか。個人的には当時のPCゲームは「美少女ゲーム」(エロゲー)の勢いがあり、いくらアーケードゲームの移植作が多く発売されていたX68と言えども注目度は低かったと思う。更に言えば、シューティングゲームというジャンルも、当時のゲームジャンルのトレンドからは外れていた為、一層スルーされていたような気がする。

そんな意味で、このゲームもまた伝説の一つであろう。

謎のコラム。 一応筆者はゲーム業界に入社した方の様だが・・・ストⅡヒット後、明らかに読者層が変わり、こういった記事が掲載される様になってきた。

雑君以来のゲーメスト連載漫画。

独特の線とアメコミ調の絵柄がなかなか良かった。



当時のストⅡ人気の度合いが判る広告。

様々なメディアミックスが試みられていた。こうした活動がゲームセンターを活性化させた一つの要因といっても過言ではないだろう。

これもある意味ストⅡ人気を示す一つの記事。

コピー基盤なんて、記事にある様にスペースインベーダー時代以降ほぼ表に出て来なかった話題だろう。ただ、このコピー基盤(いわゆるレインボー)は、現在カルトゲームの一つとしてゲーセンミカド等で大会が開かれる存在となっている。

しかし、当時はそんな事は想像もつかず、ド世論を記事でぶちまけている。


格闘ゲームのヒットに伴い、連載漫画は格闘ゲームを原作にしたものが続く。

餓狼伝説に次ぐ連載は同じSNKの対戦格闘ゲーム「龍虎の拳」及び、続編の「龍虎の拳2」。画は天獅子悦也、そして原作はなんと、石井ぜんじ氏!流石に画のクオリティが高く、普通に面白い作品だった。

ゲーメスト第100号。

確か、本誌のみではなく増刊号もカウントされていたので純粋な100号ではないが、素晴らしい快挙だった。

バンプレスト発売のカルトゲーム「電神魔傀」のPRポスター。

ナント、画は永井豪!(実際のキャラデザインは別の人だ)。

格闘ゲームのブームに乗って部数が増えた所で、月間から隔週刊に変更となるお知らせ。

当時、やはり驚きは隠せなかった。

今迄雑誌のお知らせというと、休刊とかネガティブなモノしか体験してこなかったので、この舵切りは本当にワクワクしたし、今思うと、本当に対戦格闘ゲームブームの熱量の凄まじさを身に染みて感じる事が出来る。

という事で、⇑は月刊としての最終号。

⇑は、隔週刊第1号。

⇑ゲーメストNo.148より。連載ゲームコミック第4弾となる「ストリートファイターZERO」の予告編。稼働し始めた同ゲームのコミカライズで、この辺りは上手い戦略だったと思う。

作画は「中平正彦」。正直、当時全く知らない人だったが、画はスゴく上手い。この作品から暫く氏の連載が続いていく。


*タイトーの3D対戦格闘ゲーム「ファイターズインパクト」の広告。

当時ゲームの広告はイラスト(3Dモデル)が主だったので、実写モデルを使用したこの広告は未だに思い出に残っている。そして、このコスプレのモデルの娘は誰?

*伝説広告シリーズ(笑)。

ナムコの「ダンシングアイ」の広告。雑誌の裏表紙を丸ごと使いこのインパクト。女体に・・・サル。というキャッチコピーの破壊力は凄まじかった。

*10種年記念号。

当時はそれほど関心が無かったのだが、この10周年記念で、ゲーメストエキスポなる催しを開催していた。新旧のゲームを集めてフリープレイで楽しめたり、最新ゲームの発表があったりと、今思うとスゴい催しだ。

*ゲーメスト(新声社?)が運営するゲームセンターオープンの告知。

当時良く訪れていた場所なのに、全くノータッチだった・・・^_^; 当然、今は見る影もないのだろうが、当時どんな状況だったのだろう?

っていうか、場所的にはミッキーの近く?

⇑200号表紙。

今回も本誌だけの200号ではなく増刊号等を含めての数字。10周年から間を置かずなのでそんなにイメージはないが、やはり大したものだし、紹介ゲームを見てもこの年(97年)は、面白いゲームが多数発売されていた。

⇑伝説の(?)対戦格闘ゲーム「ファイティング武術(ウーシュ)」の広告。

骨法使いを見た時に「これはプレイするしか!」と息巻いていたが、近所を含め結局実機を見た記憶がない・・・^_^;

しかし、このゲームは形を変え、「武戯」(家庭用)として蘇っていた!

*唐突に始まった感のある(元)カプコン社員「岡本吉起」氏のコラム。

氏のYouTubeチャンネルで述べられていたが、当時ゲーメストとカプコンの蜜月関係は相当だったらしい。その流れでの連載だったのだろうか?

しかし、当時のカプコンの勢い(3D対戦格闘に押されてきたとはいえ)を考えれば、読者として特に不思議な感じはしなかった。

*中平正彦氏の新連載漫画が表紙のNo.204号。

ストZEROの連載終了から「コミックゲーメスト」に連載の場を移していたが、ストリートファイターⅢ(2nd)の稼働時期と、ゲーメスト200号記念企画として本誌に帰ってきた。

*SNKの新作格闘ゲーム「月華の剣士」とのタイアップ企画でスタートした漫画・・・であったが、連載開始直後に上記の中平氏の漫画が連載された。本誌に2つの漫画は不要という事なのだろうが、6話でコミックゲーメストに移籍。(その後は不明)

当時はこの様な細い線が受けていたと思うが、正直画力的力不足は否めない。ページ数が少ないにもかかわらず、内容も軽くゲームの世界観(ゲームが開発中だったとはいえ)を伝えきれていない。(ぶっちゃけ、つまらない)だからなのか、3話からSNKの資料コーナーとの併載というテコ入れがあったと思われる。

*彩京のシューティングゲーム「スペースボンバー」の広告。

ナント、ミリタリー劇画の大御所「小林源文」氏の描きおろし。

このシュールさ。堪らないね。(笑)

*タイトーの大型筐体レースゲーム「バトルギア」の広告。

タイトーは、実写モデルを使用した広告が多かった様な・・・?

この時代は、3DCG全盛でも、まだ実写の方がリアリティがあった。

*これが最終号。

内容も自然な内容で、次号予告も普通に掲載されている。

ただ、唐突に「猛者通信」のコーナーが何故か第一部完、となっていて、今思えば何かを暗示しているように感じる。


*ゲーメストについては、都度思い付きで加筆修正していきたい。

度重なる引っ越しでほとんど失われた同紙を、資料としてある程度回収出来ているので、読み直すたびに何か思い出す事もあると思う。

その際は、お付き合い頂けると幸いだ。

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