ボードゲーム(シミュレーション、TRPG)から始まり、ファミコン、PC、アーケード、とゲームに慣れ親しんできた身として、思い出のゲームは数多くあるのだが、振り返ってみると90年代初め辺りのゲーム名が多く思い浮かんでくる。
当時は専門学校を卒業後、漫画家を目指しながらフリーターとしてゲームセンター(ゲーセン)でバイトをしていた時期と重なる。
前述の通り家庭用を含め多くのゲーム機に触れて遊んできたのだが、生活上の諸事情により家庭用に関しては、ファミコン以降は発売から時間差で触れている。具体的には、ハード発売からおおよそ2年後位に遊び始める感じだ。その代わり、PCゲーム(主に美少女ゲーム)とアーケードゲームにはリアルタイムで触れ続けてきた。
そんな中、思い出のゲーム名を挙げていくと・・・
「ダークエッジ」「ガイアポリス」「アラビアンファイト」「リーサルエンフォーサーズ」「ザ・グレートラグタイムショー」「ファイターズヒストリー」「餓狼伝説2」「ワールドヒーローズ2」「サムライスピリッツ」「富士山バスター」「ナックルヘッズ」「バーニングライバル」「龍虎の拳2」「バトルクロード」「ドギューン」・・・と、アーケードゲームばかりだ。(これは、当時ゲーセンでバイトをしていた為であり、更に93年に開催されたAOUショーに(会社のコネで)行った事が大きい。このショーについては別コラムでも述べている。
⇑*月刊ゲーメスト No.90 (1993年5月号)より
こういったショーに行く事自体初めてだったわけで、かなりテンションが上がっていた為、見るゲーム全てが脳裏に焼き付いたと思われる。(このショーでゲームショーの雰囲気を掴んだのか、同時期のコンシューマゲームのゲームショーにも行った記憶がある・・・)
そんなわけで、この時期のゲームが思い出のゲームとなる事はある意味必然かもしれない。面白いのは、それらのゲームをやり込んでいたわけではないという事だ。フリーターとはいえ、当時は掛け持ちもせずゲーセンのバイトのみの収入だった為、万年金欠状態であった。更にゲームよりも漫画を画く事に資金が流れて行っていた為、気軽にゲーセンでお金を使う事が出来なかった、という現実的な理由からなのだが、それでも情報だけで思い出に残っているという事は、多感な時期に心に焼き付いたからであろう。
更にこの時期のアーケードゲームは、ジャンルとしてはストⅡから続く(対戦)格闘ゲームの一人勝ち状態で、各社ストⅡもどき、ファイナルファイトもどきを多数開発していた。言ってみれば、新しいゲームジャンルのブームが花開き、ゲーセンが大きく盛り上がっていた時期。そんなアーケードゲームの過度期を体感していた、という事が記憶に残っている原因の一つなのだろう。
裏を返せば、家庭でプレイしていたPCゲームよりも、ゲーセンでプレイするアーケードゲームに魅力を感じていたという事だ。ゲーセン店員だった事を抜きにしても、当時のゲーセンはかなり居心地が良い空間だったと思う。ゲーセンでゲーム仲間を作ったりしたことはないが、同じ空間で同じ(ビデオゲームという)趣味を楽しむ人と居る時間が心地良かった。
更に、やはり当時はまだグラフィック的に一番優れていたのはアーケードゲームだった。これは、地味だがゲーセンに通うというモチベーションとしてはかなりの割合を占めている。
そんな様々な要素が一つになり、私個人の歴史の記憶に刻まれた時期なのだ。
誰にでも思い出のゲームはあるはず。それが何故なのか?を分析する事に大きな意味はない。ただ、やり込んでいたわけでもないのに記憶に残るゲームは存在する。それを考えると、ゲームと過ごしてきた時間を改めて噛み締めて現在のゲームに向き合える気がするのだ。
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