さて、このコラムでは、ある意味、私の人生を決定付けた一品についてお話したい。 中学生辺りから、ボードのシミュレーションゲームにハマッていたのだが、その流れでテーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)に趣味が移行していった。その過程で、一人で遊ぶRPGとして紹介されたのが「アドベンチャー・ゲームブック」(以下ゲームブック)だった。 今更説明は不要かと思うが、このゲームブックとは、本を読み進めていくうちに出てくる選択肢に従い、ページを飛んだ先のパラグラフを読みながら、進めていく物語。 例)
1 君は、噂に名高い魔法使いの塔を目指して旅をしている。街道を歩く君の前に、ボロを纏った老女が現れた。老女は物乞いの様に手をかざし、君に近づいてくる。君はこの老女に対して・・・ 手持ちの金貨(金額は好きなだけ減らしてよい)を恵んでやるか(348へ)? 剣をかざして追い払うか(16へ)? と、いった具合。今でいうならば、サウンドノベルのアナログ版だろうか? とにかく、この飛び飛びのパラグラフを読みながら進めていく、というドキドキ感を初めて味わった時は感動したものだ。 ただ読み進めていくだけではなく、作中行動する主人公の能力をダイスを使って作成して(キャラクターを造る)、敵が登場すればその敵と(ダイスを使用して)戦うのだ。自分がキャラクターになりきって物語を追っていく。そう、これは正にRPGなのだ。
記憶の中では、社会思想社が出版した「火吹山の魔法使い」が日本初登場のゲームブックだ。社会思想社のゲームブックはこれ以降シリーズ化され、そのシリーズの中で記憶に残っている作品は、第2弾の「バルサスの要塞」と第10弾の「地獄の館」だ。
「バルサスの要塞」は、私が初めてプレイしたゲームブックで、剣と魔法を駆使して、悪の魔法使いバルサス・ダイアを退治しに行くお話。
「地獄の館」は、「クトゥルフの呼び声」のようなホラーRPGを題材とした作品。 嵐の夜に訪れた館での、血も凍る恐怖を体験出来る。 この作品は主人公に限界恐怖点というパラメーターがあり、恐怖を感じると、恐怖点が加算されていき、それが限界を超えると「発狂」してしまう(もちろんそこでゲームオーバー)という、パラグラフを読み進める以上のドキドキ感が味わえた。
さて、ゲームブックと言えば、忘れていけないのが、金字塔たる「ソーサリー」シリーズ。全4巻からなる壮大な物語で、主人公は、剣士または魔法使いとなり、平和の王冠を取り戻すべく世界を旅する、というお話。 剣士と魔法使いが選べるが、断然魔法使いでプレイした方が面白い。 プレイヤーは巻末にある呪文書を読んで、呪文(アルファベット3文字の組み合わせ)を暗記しなければならない。どの組み合わせがどんな効果の呪文かを暗記して使用しなければいけない仕組みになっているのだ。 このアイデアは抜群に面白く、プレイに緊張感が生まれるし、魔法を使うには専門の道具を揃えなければいけなかったりして、アイテム集めの楽しみもあった。正にRPG! 学生の頃は、これらのゲームブックを授業中にプレイしたり、プレイしながら帰り道を歩いたものだ。 これらのゲームブックで、想像力を刺激する事を学んだ。 物語を考える事で想像力が膨らむのだ。 当然といえば当然だが、こうした刺激を受けられた事は、財産になっていると思う。 楽しく想像力を働かせられる事は、小説には無い要素だ。 しかし、このようなゲームブックも、コンピュータRPGや、アドベンチャーゲーム、サウンドノベルの登場で姿を消した。 確かに、コンピュータゲームの方が、ビジュアル的に訴える力が強いし、面倒な手順が無いので致しかたないが、アナログな楽しみ方も忘れてはならないのではなかろうか?それともこれは、歳を取った人間のノスタルジーなのだろうか? ちなみに、現在何作かは復刻版が出版されているが、新しい物語は登場しないのだろうか?売れないか?(06/09) ところが、現在でも細々とではあるが、新作が発表されているっぽいのだ。 年に何回かしか行かない大型書店で行く度に見掛ける。しかも、シリーズ作の様だし、結構ファンが付いているのかもしれない。 何にしろ、灯が消えない事は良い事だ。 パッと見、ルールが複雑そうだが、1冊チャレンジしてみたい。(16/01)