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  • 執筆者の写真竜騎士

ゲームセンターの思い出

更新日:2023年4月20日


*このコラムは、HP10周年記念の連載コラム。旧HPではランキング形式で思い出ゲームについてのコラムにリンクしていったが、コラム記事の移籍に伴い、各ゲームコラムはそれぞれ独立したページとさせて頂く。また、内容に加筆修正を加えている。合わせてキャンギャルとのやり取りは割愛させていただく。ご了承ください。(21/01)


さて、竜騎士円卓会議場10周年記念企画としてキャンギャルと共に思い出のゲームについて語って行くコーナーの始まりです。 ゲーム好きの身としては、早速思い出のゲームについて語りたい所ですが、ここでは私とゲームの歩みを歴史と共に語って行きたいと思います。 先ず始めに、我が人生と切っても切る事が出来ない場所「ゲームセンター」について語りたい。私が思うゲームセンターとは、お金を払ってビデオゲームをプレイする空間の事である。

そもそも、ゲームセンター(以下ゲーセン)という言葉を理解したのは、かの伝説的漫画「ゲームセンターあらし」を読んだ事が切っ掛けだ。 この漫画は主人公「石野 あらし」が、ゲームセンターにあるゲームで戦いを繰り広げる熱血少年漫画。(コロコロコミック連載) 漫画連載当時小学生だった私は、ご多分に漏れず「ゲーセン」=「不良の溜まり場」というイメージを持っていたので、当然ながらゲームセンターに出入りした事は無かった。 というか、遊ぶ金も無かったし、そもそもゲームセンターが無かった(ボーリング場に併設されたゲームコーナーしか無かった)が・・・


さて、中学生になると周りでゲーセンに出入りする輩が現れ始める。 しかし、当時はファミコン初期の黄金期であり、ゲーセンに行くよりは専らファミコンソフトで遊んでいたし、ファミコン以外でも(ボードの)シミュレーションゲームやテーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)で遊んでいたので、ゲーセンにはまだまだ出入りしてはいなかった。 ただ「BEEP」「ベーマガ」「コンプティーク」等の雑誌からゲーセンでどんなゲームが出回っているのか、といった情報だけはあり、中には遊んでみたいと思わせるゲームもあった。 しかし、まだゲーセンは”怖い所”というイメージがあったのだ。

高校生になると伝説的アーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」と出会う。ハッキリ言ってこの出会いが私とゲーセンの運命を決定付けた。 家庭用ゲームはファミコン一人勝ちの時代だったが、本当に「スゴイ」ゲームで遊びたかったらゲーセンへ行け!という時代だった。そんな時ゲーセンのゲームのみを紹介・攻略するゲーメストの存在は一際輝いていた。面白おかしいゲーム紹介とキレイなイラストでの攻略は私を惹き付けた。必然、紹介されたゲームは実際プレイするべくゲーセン(ゲームコーナー)に足を運ばせる結果となった。 ちなみにこの頃の思い出のゲームは「西遊降魔録」「ゴールデンアックス」「ドラゴンスピリット」である。 隣町にあったドライブインのゲームコーナーでプレイした「ニンジャウォーリアーズ」にも感動したものだ。 あと、マセ始めたのでルールも判らないまま「麻雀学園」なんかに恐る恐る手を出していた(笑)

知識はあったが如何せん実際プレイ出来る場所が無かった高校時代。しかし、それも専門学校入学と共に終わる。そう、東京での暮らしが始まったのだ。 専門学校時代は学校の寮暮らし。門限が有り、遅くまで外出する事は出来なかった。まぁ、この時代はまだゲーセンよりもサークルでTRPG三昧だったが。 しかし、そこは東京。学生街にゲーセンは付き物で、ゲーセン自体はあちこちにあった。

そんな中、サークル仲間の一人と意気投合しプレイしたゲームが運命の分岐点だった。そのゲームとは「ファイナルファイト」。 このゲームで2人協力プレイの魅力に目覚めた私は、授業そっちのけでゲーセンに通う事になる。

この頃は、学校帰りは書店を巡ってからゲーセンで〆るというパターンだった。駅前のゲーセンで金の続く限りプレイを楽しんだ。 この頃の想い出は、「キャプテンコマンドー」を4人同時プレイ筐体で継続プレイしクリアした事。やはり、みんなでワイワイ楽しむ事が一番楽しかった。 この頃に夢中になったゲームは「ファイナルファイト」「キャプテンコマンドー」「デスブレイド」など。とにかく横スクロールアクションの2人プレイに燃えていた。 この頃の体験がゲーセンでのプレイスタイル、そしてゲーセンという空間の認識を高めた。 専門学校卒業後、結局漫画を投稿しながらフリーターとして生きていく事となる。当然ながら最初に選んだアルバイトはゲーセンの店員だ。 近所にあった小さなゲーセンで、客層は高校生(近所のワルガキ)中心の、お世辞にも品の良い店ではなかった。 ちなみに就職したばかりの店内は、狭いながらも「ファイナルラップ2」(2人対戦)「スーパーモナコGP」(シングル)というドライブ筐体モノもあった。アップライト筐体が中心だったが、まだテーブル筐体もあり、マージャン・花札が全体の3分の1弱、といった感じ。 当時は「ストⅡ」全盛期。客は入っていたが、インカム(収入)に偏りがあった。 ゲーセンの店員だから、当然遊びまくる、と思っていたが、途端にゲーセンでは遊ばなくなった。立場が変わると見える景色も違うわけで、当時はどうしようもないクソガキ共をどう追い払うかで精一杯であった。 そうはいってもゲーム自体は好きだったので相変わらず、ゲーメストの情報だけは拾っていた。 この頃の思い出のゲームは「ストリートファイターⅡ」(ダッシュ、ターボ)「エイリアンVSプレデター」「餓狼伝説2」「サムライスピリッツ」「ファイターズヒストリー」と、格闘ゲーム一色になってくる。 ちなみに「餓狼伝説2」がきっかけで家庭用NEOGEOを購入しました! うちのゲーセンは今思えば結構マニアックな基盤を入れていた。 社長が「ビスコ」と繋がりがあったのが原因か? 一例を挙げると「ナックルバッシュ」(ロケテストやってたなぁ)「サンドスコーピオン」「天麟の書 死嘩護」(これもロケテスト)「ザ・グレートラグタイムショー」「バトルクロード」「バーニングライバル」「シュマイザーロボ」等。 あ!忘れちゃいけないのが「富士山バスター」!何故か燃えてました。「さぶ」と「河童」を使ってたなぁ・・・ 「バトルクロード」は、無駄に音量が大きく、今でもオープニングや試合中のBGMを口ずさめる程だ(ゲーム自体はインカム的に厳しく、すぐ消えてしまったが・・・) 音量といえば、マージャンゲーム「ファイナルロマンス2」の音量も大きかった。「はい、いらっしゃいませ!」というオープニングの声がプレイする人と共に、こっちまで恥ずかしくなってきた事を思い出す。 話はズレるが、この頃店の後ろ盾で1回だけゲームショーに行った事がある。その時展示されていたゲームで思い出深いのは「ダークエッジ」「ガイアポリス」「サイバトラー」「タオ体道」である。 「ダークエッジ」は近未来が舞台の擬似3Dの対戦格闘。デカいキャラクターと世界観、そして迫力の3Dバトル(擬似だけど)に一目惚れし、一緒に行った友人と夢中でプレイした。そこへ、関係者らしき人がやってきて「これ、売れると思う?」と聞いてきたのだ。 興奮していた私は「売れます!」と即答。しかし、実際はカルトゲームとして語り継がれる事に・・・まぁ、権力を利用して(?)自分の店には入れてもらったけどね。 「サイバトラー」はロボットシューティング。サブ武器のレーザーブレードで敵を斬り付ける事が出来た。友人がこの手のロボットが好きだったので、付き合わされてプレイした。 「タオ体道」は、ストⅡモドキのショボイゲームとして印象に残った。 「ガイアポリス」は、パスワードコンティニューが出来るアクションRPG。ショーではプレイ出来なかったが、後に千葉のゲーセン(1プレイ20円!)で友人とやり込んだ想い出がある。クリアは出来なかったが・・・ そのゲーセンは天井が学校の体育館程の高さがあり、明らかにそれらしい場所を改造して創りました的なゲーセンだった。置いてあったゲームは殆ど思い出せないが、とにかく1プレイ20円というハンパさが記憶に残っている。 さて、うちの会社も格闘ゲームのおかげで大きくなったのか、近所にもう1店舗出店する事になった。 店構えは、入り口にUFOキャッチャー、次いでドライブゲームを始めとする大型筐体、奥がビデオゲームという布陣。オープン当初から暫くはピンボールも置いていた。 大型筐体は結構バラエティーに富んでいて定番のドライブゲームは、ポリゴンを使用した「ヴァーチャレーシング」(4人対戦筐体)や、「リッジレーサー」のデラックス筐体等も入れていた。 ガンシューティングでは「リーサルエンフォーサーズ」「ターミネーター2」「タイムクライシス」等、その他パンチングマシーン「ソニックブラストマン」もあったなぁ。 後期は一大ブームを起こした「電車でGO!」や「ビートマニア」「DDR」も入荷。電車でGO!は筐体を傘で叩いていた客(サラリーマン)と掴み合いの喧嘩をしたっけ・・・ その店で強烈な想い出は、店に泥棒が入った事である。朝、出勤するとガラスの破片が散らばっている。事務所に入ると金庫がバール(の様なもの)で抉じ開けられ、ゴッソリ持って行かれていた。第一発見者だった私は、警察に簡単な事情聴取をされ指紋も取られた。参ったなぁ・・・ ところが、その後もう1回やられたのである!笑えないよ・・・ 犯罪といえば、ドリルで穴を開けた韓国の500ウォン硬貨で両替していく、という手口の被害もあった。両替機をずっと見てるわけにも行かないし、ホント困ったものだ・・・


この頃は、殆どゲーセンで遊ぶ事はなかったのだが、唯一燃えていたのは「デッド・オア・アライブ」「ソウルキャリバー」位である。 後は、ひっそりと入荷する横スクロールアクション(バトルサーキットとか)を気晴らしにプレイする位だった。 そんなゲーセンも、対戦格闘ゲームの下火と共に売り上げが激減し、遂に閉店となってしまった。 最後はあっさりと普段通りに営業し店仕舞い。感慨に耽る事もなかった。 今思えば、ダラダラと過していた時間のような気もするが、人生の一部分をゲーセンという空間と過した記憶は消えないだろう。 現在ゲーセンはファミリー・カップルをターゲットとした「アミューズメント施設」に変わっている。 ネッワークやカードを使ったゲームもあるが、いわゆるビデオゲームメインのゲーセンはどれ程盛り上がっているのだろうか? 時代と言ってしまえばそれまでだが、自分が過してきた空気を感じられるゲーセンに、また出会いたいものである。(了) さて、今回はゲーム、というかゲーセンと私の思い出を語ったが、次回よりカウントダウン形式で思い出のゲームについて語って行く予定です。請う、ご期待! *ネットが発達した現在、対戦プレイも協力プレイも自宅に居ながら出来る時代となった。 いわゆるゲームセンターはほぼ絶滅状態であり、レトロブームとして保護されるような対象となりつつあるし、実際その様な活動もある。 機会があれば、私もそんな活動に参加してゲームセンターの灯火を後世に伝えていけたら、と考えている。(20/01)

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